miyakeさん・川辺マイコさん・宇佐美宏さん × 勝田修平先生(副校長)

自分の曲を愛してくれている証拠を見ると、
やっていてよかったと思う

 作曲家として第一線で活動を続けるmiyakeさん、川辺マイコさん、宇佐美宏さん。個性的な三人なだけに、恩師である勝田先生の中でも印象は強いようです。学生生活を思い切り楽しみ、今は音楽活動を心ゆくまで楽しむメンバーが、作曲家として歩むべき道を示してくれました。

学生時代の交流も
創作意欲につながっていました

勝田:みんな、どうして作曲家になろうと思ったのかな。

miyake(以下m):中学時代にバンドを組んでいて、僕はギターヴォーカルを担当していたんです。その中で、曲を作り始めました。地元は岡山なんですが、「岡山を飛び出して、東京で作曲家として成功したい!」と思ったのがきっかけですね。当時、ヤマハのQYというシーケンサーがあったんですが、それにピコピコ打ち込んで曲を作ったのが中学3年生。

川辺:私は3歳からピアノをやっていたので、そこから楽譜に書いてクラシックの曲作りはしていたんです。その後、小室哲哉さんやX JAPANが全盛期の時に影響を受けて、J−POPを作るようになりました。

宇佐美:僕もmiyakeさんと似ているんですが、高校の時にバンドを始めたところ、うちのバンドには僕しか音楽に詳しい人がいなくて、「オマエ、曲を作れ」と言われたんですよ。テープレコーダーに自分で歌うヘタな歌を録音して(笑)、作曲していました。

勝田:それで、みんなうちの学校へ入ってきたんだね。miyakeくんは作曲の授業以外に、ドラムやキーボードの授業を積極的に取っていた記憶がある。川辺さんは、一度大学に入学してから、うちの学校に来たんだよね。

川辺:そうです、国際分野の大学に通っていて、その後、この学校に通うようになりました。この学校に入ることは高校の時から決めていたんですけど、大学にも行って勉強したいと思っていたので。

勝田:年齢は違うんだけど、宇佐美くんと在学時はかぶっているはず。

宇佐美:そうです。

miyakeさん・川辺マイコさん・宇佐美宏さん × 勝田修平先生(副校長)

勝田:だから川辺さんに関しては、大人っぽかった印象があるよ。そして、耳がものすごくよかった。

川辺:ありがとうございます。

勝田:宇佐美くんは……、これは有名な話なんだけど、学内のブースに朝の9時から夜の9時までいたよね。

宇佐美:いました、いました。

勝田:それも、毎日。だからみんなに「主(ぬし)」と言われてた(笑)。

宇佐美:ハハハ、確かに。

勝田:Macの使い方も、誰よりも詳しくなっていたよね。

宇佐美:おかげで今も、周りからはサポートセンターみたいな扱いです(笑)。

勝田:在学中の思い出は、あるかな?

m:僕の在学中は、校舎が今のものに建て替える前だったんですよ。当時も学生の共有スペースがあって、そこによく入り浸っていました。

川辺:それは、私の代まで続いていましたよ(笑)。

m:ホントに?落ちつく空間だったよね。共用スペースだから、ミュージシャン科の人もダンス科の人も、みんな一緒になってそこで騒いでた。

勝田:共用スペースは今もあって、学生たちのくつろぎの場となっているよ。

川辺:私の代は男の子が多く、みんなから「姉さん」と呼ばれて(笑)、一緒に野球やサッカーをしていましたね。授業以外は、みんな活発に動いてたな。それが創作意欲につながったりして。まぁ、籠もっている人もいらっしゃいますけど(笑)。

宇佐美:そこまで籠もってないですよ(笑)。僕らも近くにあるスポーツセンターのバスケットコートを借りて、みんなでバスケしたりしてました。

川辺:作曲家のイメージって根暗かなと思うけど、意外と活発ですよね。

m:みんなで一緒に曲を作ったりしていたな〜。機材を買うと、「こんなの買ったぜ!」とお互いに自慢しあうから(笑)。音を入れて聴いてみようぜとなり、みんなでギターの音を録って試してみたりするうち、その延長線上で曲を作る。当時、機材は高かったから……。

勝田:今は10万円くらいで買える物が、miyakeくんの時代だと40〜50万円くらいしたからね。

m:だから自慢しあうんですよ(笑)。

卒業生と現場で会うこと、
多いよね

miyakeさん・川辺マイコさん・宇佐美宏さん

勝田:miyakeくんはプロジェクト『印税生活の扉』 ※1がきっかけで、エイベックスと契約になったんだよね。しかもその年の5月には、SMAPへの曲提供が決まったんだっけ。

m:そうです。

勝田:さらにBoAにも提供して、200万枚売れたんでしょ。

m:はい。僕が曲を提供したSMAPのアルバムも200万枚弱売れたので、あの年は合わせて400万枚近く売れたんですよ。

勝田:川辺さんは2年生の時の『印税生活の扉』で、6社から手が挙がったんだよね。それをいくつか回って、最終的にエイベックスと契約したから、学生生活のラスト1年は、作曲家として専属契約しながらだったでしょう。

川辺:あの時はやる気がみなぎっていたので、たくさんの会社に聴いていただき、アドバイスをいただきました。エイベックスが第一志望だったので、契約できて嬉しかったですね。

勝田:そして宇佐美くんは、この三人の中で出席率がナンバーワン。

宇佐美:マジメなんです(笑)。

勝田:授業は当然出席しているし、授業がない時はブースにいたね。あと、制作スピードがとても速かった印象がある。宇佐美くんの曲に対していろいろ注文した時も、レスポンスがすごく早かった。当時から仕事としての意識が高かったのかな。

宇佐美:自分のために作っていたのは、月に1曲くらいのペースでした。今となっては3日で作らなきゃいけないこともあるから、学生時代は時間に余裕があったなぁ、と(笑)。

勝田:みんな、現在はプロとして活躍しているわけだけど、初めて曲が採用されたのは、どういう流れだった?

m:僕はまさにさっき言ったSMAPが初めての採用ですけど、その前にエイベックスのクリエイターマネージメントプロダクションから「とにかくどんどん曲を作ってくれ」と言われたんです。それで、僕も送り続けていて。どうやら先方が、その曲をいろんなコンペやプレゼンに出してくれていたんですよね。当時の僕は頭も坊主でゴリゴリのB−BOYでしたから、出した曲も全編ラップだったんです。だから、「えっ、あの曲をSMAPさんが歌うの!?」とびっくりしました。

川辺:学生当時はエイベックスを第一に考えていたので、エイベックスサウンドの曲ばかり書いていたんです。そこで、“ギャル社長”と呼ばれた藤田志穂さんの曲に選ばれました。あと学校の授業で作っていた曲が、後に拾われてHey! Say! JUMPや和田アキ子さんの曲となりました。「私、作曲家なんだ」と一番実感したのは、Hey! Say! JUMPのコンサートに行って、自分の楽曲を聴いた時です。ファンがペンライトを振ったり、泣いているのを見て、「ああ、すごい仕事をしているんだな」と思いました。和田アキ子さんの『幸せのちから』という曲も書いたんですが、ラジオで流れた時に、聴いた人から「勇気をもらいました」というリアクションをいただいたんです。次の曲を書くモチベーションにつながりますね。

宇佐美:僕は事務所に所属してから、声優さんの歌うゲームの曲が採用されたのが初めての仕事です。知らないうちに製品になっていたので、僕的にはあっけなかった、というか。

勝田:意外と作家は、製品になった後で知ることも多いんだよね。

宇佐美:そうなんです。歌録りも立ち会っていませんし、気がついたらサンプルが送られてきて「はい、できました」という感じだったので、この三人の中で一番実感がないというか(笑)。

勝田:歌録りに立ち会ったことは、ある?

m:僕はmihimaru GTとしてやっていましたから。

川辺:和田アキ子さんやmelody.さんの時に立ち会いました。和田アキ子さんは、すごく丁寧な方で、作家を立ててくださるんですよ。歌録りも和やかに進みましたね。

宇佐美:僕は最近、水樹奈々さんの時に。急に「現場に来る?」と言われたら、そりゃ行くしかないでしょう(笑)。とにかく歌がうまかったです。さらにコーラスのコーディネ―とをしていた人が、この学校の卒業生という縁もありました。

m:卒業生と現場で会うこと、多いよね。裏方の人も多いし、アーティストもたくさんいるし。mihimaru GTをやっていた頃のディレクターは、この学校の後輩でした。

川辺:スタジオのエンジニアさんが卒業生とか、よくあります。あと、X JAPANのライブサポートメンバーとして横浜とニューヨークの公演に出演したんですが、私担当のキーボードテックが卒業生でした。

m:現場で「同じ学校なんです」と言われると、嬉しいよね。

勝田:卒業生同士でつながっていく話を聞くと、僕も嬉しいんだよ。例えば何年か前のa-nationにはmihimaru GTが出ていて、X JAPANのサポートで川辺さんがいて、出演アーティストのマネージャーが実は卒業生だったり、担当ディレクターもそう。僕は学校で仕事をしながら、「今、みんないるな」とニマニマしてた(笑)。

  • ※1.印税生活の扉

オリジナルを打ち出せる人間が、
今後強いと思う

miyakeさん・川辺マイコさん・宇佐美宏さん × 勝田修平先生(副校長)

勝田:今までで一番嬉しかった仕事は、何だった?

m:僕はステージに立っていたので、自分の作った曲をパフォーマンスして、最前列のお客さんが一緒に歌ってくれるのは、感動しますね。「絶対、間違えられない」と思うけど(笑)、自分の歌を愛してくれている証拠なので、音楽をやっていてよかったと思います。

川辺:私もコンサートで、お客さんの反応を見た時かな。あとは特権として、コンサートに呼んでもらえること。運が良ければ楽屋まで行けますし。つい最近はKAT-TUNのコンサートに行ったんですが、ステージから真正面の席で、一番いいサウンドと視野で楽しませていただきました。

勝田:川辺さんは、X JAPANのライブで自分の楽屋があるというのも、すごいと思うけど。

川辺:そうですね、ずっと憧れの存在だったから、自分が同じステージで演奏できる、つまり彼らの歴史に一緒にいられることはとても嬉しいです。

宇佐美:僕もやっぱり、聴いてくれた人の反応を見ることですね。特に今はネットでファンのリアクションがわかるから、直に声が聞けるんですよ。調べてみると、「思いのほか、悪い反応はないな」と安心したり。

m:思い入れの深い曲は特に、世の中からどんな評価をされているのか気になるよね。

川辺:私の夫も作家をやっているんですが、彼がすごくチェックするんですよ。おかげで、彼から私宛ての情報が入ってきます(笑)。

勝田:作曲家になりたい人の中には、「ギャランティは、いったいどれくらいもらえるんだろう」と思っている人も、いると思うんだ。その辺はどう?

m:それこそSMAPの時は学生でしたが、学生のアルバイトではまず稼げないような金額が入ってきましたね。僕はその時に、親に学費を返しました。

川辺:カッコイイ!

m:親は僕に半分期待していたけど、「成功する人はひとつまみだから」と半分は諦めていたと思うんですよ。そこをいつか見返してやろうと思って頑張りました。

宇佐美:僕はギャラが入ると、つい機材を買っちゃうなぁ。

m:自分への投資だよね。

宇佐美:そうです。

勝田:ソフトウェアは一年サイクルだし、常にほしいものがあるからね。そして現在も活躍しているみんなから、今後作曲家として活躍するために必要なことを教えてほしいんだけど。

m:今はSNSや動画配信系サイトがあるから、一般人と有名人の隔たりが薄くなっていると思うんです。だから自分なりのアイディアを持って、セルフプロデュースして、自分の持っている武器を前面に出してどれだけ戦えるか。そこも考えて自分をアピールできる人間は強いですよね。昔みたいに「音楽理論を学んで、コネクションは学校に紹介してもらって」というわかりやすい図式で夢を掴むだけじゃなく、やろうと思えば自分でできちゃう。HIKAKINみたいにYouTubeでいきなり有名になって、エアロ・スミスと共演できるなんて、昔はあり得ないことだから。今のツールを使って、二番煎じじゃなく自分だけのオリジナルを打ち出せる人間が、今後強いんじゃないかと思います。

川辺:この業界は才能だけじゃなく、運も必要ですよね。その運を掴むために、人脈を作ったり、アクティブに動いてアンテナを張り、チャンスを増やしたほうがいいと思います。

宇佐美:僕はこの学校の後輩から、『艦隊これくしょん』のBGMの仕事をもらいました。そういう意味でも、人脈は大切。特にこの学校は、音楽業界志望の人間が集まっているんだから、人脈の宝庫ですよ。

諦めない心を持ちながら、
自分の道を探してください

勝田:うちの学校が他と一番違うのは、グループワークだと思う。在学中は個人で曲を作ることがあまりなく、最低でも4人、多ければ5〜6人で作る。すると、いろんなトラブルが起きるわけ。「○○さんが来ない」とかね。

m:人間模様ですね(笑)。

勝田:でも、それも社会人トレーニングみたいなもので、トラブルにどうやって対面するかはこの業界でとても大事なこと。音楽や機材のトラブルは経験値があれば解決できるけど、人間的なトラブルは一生つきまとうでしょう。そういう意味で、miyakeくんみたいなコミュニケーション能力の高い人は、理想像だよ。

m:極論を言うと、いつも笑顔でいればいいんです。

勝田:アーティストに気持ちよく仕事をしてもらうための環境を提供することができたら、スタジオの空気は全く変わるから。あとはオタクであってほしいんだよね。機材オタク、音楽オタクでいてほしい。「自分の知らないことがあるなんてイヤだ」というくらい。宇佐美くんは、まさにそうでしょ。

宇佐美:はい(笑)。

勝田:追求していく力は、音楽を作る推進力のひとつでもあるし、それをやっていくと制作スピードが速くなるからね。そして、少しでも先を見据えた行動ができることが大切。まずは10分先でもいい。そこから一週間、一ヶ月、一年と伸ばしていけばいいんだから。川辺さんが、このタイプだよね。高校生の時から、大学に入ってから本校に入ることを決めていたんだから。

川辺:はい、そうです。

勝田:川辺さんはさっき「運」と言ったけど、ちゃんと自分でその運をたぐり寄せているんだよ。この3つがあったら、多分成功するでしょう。

三人:そう思います。

勝田:それじゃあ、高校生に向けてのアドバイスをお願いしようかな。

宇佐美:楽器に触れてほしいですね。できるに越したことはないですから。1つくらいは何か弾けるようにしておいたほうがいい。曲を作る方向性も決まるし。

川辺:音楽を聴く環境を大切にしてほしいですよね。MP3とか、劣化された音を聴く環境に慣れちゃうと、悪い音に慣れるんですよ。クリエイターはいい音に触れていてほしい、悪い音に慣れないでほしいです。

勝田:いい耳じゃないとできない仕事って、あるからね。

m:高校時代は今しかないので、遊び尽くせ!それを忘れるようじゃダメで、もし自分の感情を動かされるような出来事があったら、忘れないようにメモするか、心の中に刻んでおいてください。培ってきた環境が、曲作りに大きく作用するから。

勝田:最後に、この業界を目指す人へ先輩からメッセージを。

m:音楽が好きじゃないと続かない業界だと思う。拘束時間は並大抵じゃないし、実際にフタを開けてみたら「こんなはずじゃなかった」ということもたくさんある。それを救ってくれるのは、音楽に対する情熱。そして、その情熱を奮い立たせるのは何なのか、今一度再確認してもらいたいですね。

川辺:「なれればいいな」と思っていたら、なれません。「絶対になるぞ」という意志さえ決まれば、後はついてきます。その気持ちをもってください。

宇佐美:この業界で活躍している人は、途中で挫折するような出来事があっても続けている人が多いんです。諦めない心を持ちながら、自分の道を探すことが大事だと思います。

勝田:この三人はすごいことをやっているんだけど、本人はそう思っていない。その根底には、「音楽が好き」という気持ちがあるから、眠たくても辛くても頑張れる。本人にとっては、努力じゃないんだよね。そして、音楽は表現するメッセージだから、伝えたい誰かがいたほうがいい。親でも恋人でもいいから、「この人に向かって発信しよう」という相手がたくさんいるといいね。もう一つはいい本を読んで、いい映画を見て、いい音楽を聴いてほしい。喜怒哀楽が、あなたのクレヨンの色になっていくから。それが総合的に組み合わさった時に、自分の未来が見えてくると思います。

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卒業生
アーティスト
プロデューサー
miyakeさん

miyakeさん

profile

mihimaru GTでは主に作詞、作曲、Vocal&MCを担当。紅白歌合戦に2度出演し、オリコンアルバム最高ウィークリーチャート1位を獲得。シングルウィークリーチャート3位。LIVEでは日本武道館・横浜アリーナを経験し、韓国で行われたアジアフェスティバルにも出演。現在はクリエイターとしてのステップアップを目指し、様々なアーティストの楽曲提供、プロデュースなどを行っている。

川辺 マイコさん サイン

卒業生
作編曲家
音楽プロデューサー
川辺 マイコさん

川辺 マイコさん

profile

2006年~2009年、作家ユニット「M.Y (エム.ワイ)」で、エイベックス・エンタテインメントと専属作家契約を結び、KAT-TUN、Hey! Say! JUMP、Kis-My-Ft2、土屋アンナ、黒木メイサ、MayJ.などに楽曲提供。2008年、世界デビューを果たした日本のロックバンド『X JAPAN』の復活LIVE(東京ドーム公演)を皮切りにライブサポートメンバーとして加わり、ピアノ&キーボードを担当。

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卒業生
作編曲家
宇佐美 宏さん

宇佐美 宏さん

profile

作編曲家、ギタリストとして活躍。 水樹奈々、宮野真守、ノースリーブス、PASSPO☆などの作曲・編曲に携わる。また、艦隊これくしょんの楽曲を手がけるなど、J-POPやアニメソング、ゲームの音楽など幅広く活動。

副校長 勝田 修平先生

副校長 勝田 修平先生

profile

元シンコー・ミュージックステージプロデューサー、レコーディングプロデューサー。プリンセス・プリンセスやレベッカなどを担当。
1997年に入職。音楽テクノロジー科(プロデューサー、作曲・編曲、マネージャーコース)の教務をつとめる。miyakeさんをはじめ、大谷靖夫さん、きゃりーぱみゅぱみゅやPerfumeのプロデューサー中田ヤスタカさんは、勝田先生が担任した学生。数々の学生をメジャー作家として世に送り出してきた。