ジョーイ・カルボーン先生(名誉教育顧問) × 重永 亮介さん(卒業生)

ほんの少しの興味で踏み出した一歩が
今、かけがえのない仕事になった

 藍井エイルやKAT-TUN、AKBグループなどに楽曲を提供してきた重永亮介さん。ジョーイ・カルボーン先生はプロジェクトなどを通して彼をサポートしてきました。本校に入るまで作曲をしたことがなかったのだとか……。

今思えば未熟な音源だけど、
先生は努力や伸びしろを含めてホメてくれた

ジョーイ:亮介が作曲家を目指したきっかけは?

重永:受験勉強に疲れて、もともと好きだった音楽をやりたいと思ったのが、高3の時です。当時は山口県に住んでいて、周辺で音楽のできる環境を探したところ、この学校に行き着いて。パンフレットを取り寄せ、体験入学に行き、「作曲ならできそうかも」と軽い気持ちで始めました。

ジョーイ:それまで、作曲の経験がなかったんだよね。

重永:そうなんです、全くありません。

ジョーイ:入学して、亮介は僕の特別講義に出席したね。

重永:はい。とても勉強になりました。

ジョーイ:僕は、1年生に対してはまずJ-POPの成り立ちや、曲の構成を分解して説明する。そしてアメリカと日本、それぞれの楽曲の特徴を教えるんだ。2年生になると曲を作って持ってくる学生が多いので、それを聴いて僕個人もアドバイスするし、クラスのみんなで聴いて意見を募り、曲を分析する力やアレンジ力を養っていく。亮介は作曲の経験がないとは思えないくらい、デモの完成度が高かったことを覚えているよ。

重永:ジョーイ先生に聴かせるのは、最初はすごく緊張したんです。でも、すごくホメていただいて。今思えば未熟な音源なんですけど、当時の努力や今後の伸びしろを踏まえて聴いてくださったのかな、と感じました。

重永 亮介さん(卒業生)

ジョーイ:その通りだよ。当初は、どんな環境で曲を作っていたの?

重永:PCはMac Mini G4です。ソフトは今でも使っているDigital Performerですね。あの頃のMac Miniは、1つ打ち込んだら録音しないとマシンパワーが保たなかったので、ドラムを打ち込んだら録音、ベースを弾いたら録音、と1トラックずつやっていました。今はパワーのあるマシンが安く買えるので、トータル的に音楽が作りやすい時代になったと思います。

ジョーイ:楽になったのは、いつ頃から?

重永:Mac Book Proが出てきてからですね。

ジョーイ:作業はかなり簡略化されたでしょう。

重永:当時を思うと、考えられないくらいに(笑)。

ジョーイ:在学中で、一番の思い出は?

重永:学生の頃からコンペ(曲のオーディションのようなもの)に参加させてもらい、そこでデビューが決まったことが一番嬉しかったです。

ジョーイ:この学校で一から学んで、在学中にデビューが決まったんだから、すごいスピードだね。

重永:全ての授業に出席するのはもちろんですが、とにかく実践しかないと思って、家でもずっと曲作りをしていました。ギタリストがギターを弾かないとうまくならないように、作曲家は曲を作らないとうまくなりませんから。

ジョーイ:毎日作曲をすることは、成功の鍵なんだよ。映画音楽の作曲で有名なジョセフ · ウィリアムスも同じことを言っていたな。

重永:学校に入ってから曲を作り始めたので、毎日何かしら発見があったことが大きかったですね。作ることで自分のクオリティが上がっているのを感じられたので、作れば作るほど楽しかったです。

ジョーイ:学校で学んで、一番役に立ったのは?

重永:レコーディングの知識ですかね。人に教わらないと習得の難しい技術を学校で学べたおかげで、編曲やレコーディングなど現在のいろんな仕事で役立っています。

藍井エイルの『INNOCENCE』は、
自分の方向性が変わった分岐点の1つ

ジョーイ:プロになった亮介に、改めて聞いてみたいんだけど、作曲家とはどんな仕事かな?

重永:レコードメーカーから「このアーティストに合う、こんな曲を作ってください」という発注があります。本来はコンペ形式が多いんですけど、今の僕はほとんど指名をいただいていますね。先方からイメージなどのオーダーがあり、それに合わせて曲を作ります。その後、修正を含めたやりとりを経て、アーティストがレコーディングをする。ここまでの一連の流れが、基本的な作曲家の仕事ですね。

ジョーイ:アメリカだと、数人でキャンプを組んで作ることもあるよ。例えばマルーン5の『Girls Like You』という曲は、決まったコードがずっと続くシンプルなものなのだけど、これに携わった作曲家は6人もいるんだ。

重永 亮介さん(卒業生)

重永:日本でも増えてきたと思います。

ジョーイ:プロになって、印象的な仕事は?

重永:藍井エイルの『INNOCENCE』という曲が『ソードアート · オンライン」というアニメに使用されたんです。そこから曲を作るだけじゃなく、彼女のライブもサポートするようになったので、自分の方向性が変わった分岐点の1つだと思います。

ジョーイ:考え方も変わったかな?

重永:バンドで曲作りをする楽しさを知りました。

ジョーイ:昔は1ヵ月に何曲くらい作っていたの?

重永:全てのコンペに応募していたので、20〜30曲は作っていましたね。

ジョーイ:それはすごい量だよ! だからこそ、有名になれたんだね。何が一番大変かというと、そのモチベーションを保つこと。作曲家を目指す人たちに伝えたいんだけど、コンペに出して選ばれないことはよくあること。でも、それを残念がる必要はないんだよ。そのコンペで使われなかったとしても、曲のストックが1つ増えるわけで、次に活かせるんだから。同じ曲を別のコンペに出して受かる可能性もあるし、それが結果的に前回よりビッグアーティストだったということもありえるのが、この業界。

重永:確かに、僕もそういう経験があります。

ジョーイ:的の中心に当てようと思っても当たるとは限らない、それがコンペなんだよ。だからこそ、撃つ弾は増やさなきゃいけない。僕らはそのために大量の曲を作ったし、選ばれなかった曲は山ほどある。亮介は多分、ストックがたくさん溜まっているんじゃないかな?

重永:そうですね、1300曲くらいあります。

コンペに出す音源は、
仮詞や仮ボーカルを入れたほうが絶対いい

ジョーイ:亮介は作詞もやっているよね。

重永:はい。

ジョーイ:それは自分でやってみたいと思ったの? それともクライアントから、「やってくれ」と頼まれたの?

重永:僕にとって曲を作ることは、「詞曲からアレンジまでトータルで手掛ける」という解釈だったんです。自分の中では詞とメロディが同時にできた曲が、一番いい作品になることが多いですし。そういう意味でも、作詞 · 作曲 · 編曲は一直線上で考えていますね。

ジョーイ:アマチュア時代から、作曲家を目指しているとしても作詞はやったほうがいいと思う?

重永:思います。例えばコンペに出す音源は、仮詞や仮のボーカルを入れたほうが絶対にいいんですよ。ボーカルはさすがに自ら歌えないにしても、仮の詞は自分で作れば発注する手間をはぶけます。詞曲をセットで作ったほうが、自分の世界観を見せられますし。

ジョーイ:アマチュア時代からやっておいたほうがいいことは、たくさんあるよね。それこそ亮介のように、毎日キーボードに向かうとか。作った曲のほとんどがダメになってしまうとしても、向かうクセはつけたほうがいい。あとは何人かで一緒に曲を作ってみるのもオススメだね。アマチュアは特に「作曲は得意だけどアレンジは苦手」など、1つの作業には特化しているけど別方面は不得手という人が多いんだよ。そこを補い合うことでいい曲ができたり、発想のヒントをもらえるから。

重永:たくさんの音楽を聴くことも、参考になります。「このジャンルは、自分の引き出しにはなかった」と思うような曲は、作ってみたくなりますし。ただ、「勉強しよう」という心づもりで聴いてもなかなか吸収されないんです。興味を持った曲を片っ端から聴いたり、たまたま耳についたものを掘り下げてみるといいかも。APPLE MUSICなどのストリーミングでは、1曲を選ぶと「この曲を聴いている人は、こんな曲も聴いています」とオススメが出ますよね。それをどんどん聴いてみると、いいと思います。

ジョーイ・カルボーン先生(名誉教育顧問) × 重永 亮介さん(卒業生)

音作りは誰かの手を通るたび、
“その人らしさ”というミラクルが加わる

ジョーイ:この業界の志望者は、作曲家はどういう形で対価をもらうのか、気になるみたいだよ。

重永:アーティストが歌うと決まった場合、作曲と作詞はそれぞれ印税が発生し、編曲は買い取られてギャランティで支払われます。他にライブ演奏やレコーディング · ディレクションも、ギャランティですね。

ジョーイ:これでスッキリした人も多いと思うよ(笑)。あと最近は、「AIが作曲もこなしてしまうのでは?そのせいで、人間の仕事はなくなってしまいそう」と不安がっている人もいるみたいだね。

重永:確かにそういうソフトは出てますね。

ジョーイ:僕はオールドファッションな音楽家だから、まずはピアノでメロディを作るけど、その後のレコーディング作業はコンピューターの力を借りたほうが効率的だと思う。ただ全てにおいてコンピューターだけでできるかと言えば、そうではないんじゃないかな。単純に、人間らしさがなくなってしまうもの。

重永:曲は生ものですから、作曲家 · 作詞家 · 編曲家 · アーティスト、そしてプロデューサーやディレクターなど、たくさんの人の手を通って1つの作品へと仕上がります。誰かの手を通るたび、“その人らしさ”というミラクルが加わっていると僕は思っているんです。それはコンピューターでは再現できないと考えますね。

ジョーイ:人間にしかできないことが、必ずあると思うんだ。作曲する上で、気持ちや感情は絶対に必要だからね。それがなければ、人の心を揺さぶる作品はできないよ。

重永:本当に、そうだと思います。

ジョーイ:それでは亮介が、今後やってみたいことは?

重永:いろいろなアーティストと深く関わる機会が増えて、本人と一緒に曲作りができるようになりました。さらにサウンドプロデュースをして、ライブに参加する形が増えてきたので、仲良くなったアーティストと一緒にトリビュートライブができたらいいですね。

ジョーイ:クリエイターとしてそういうことをやりたいと言っているのだろうけど、ビジネス面から見てもその意見に賛成するよ。亮介はモチベーションがあって頭も切れるし、才能に溢れた人……お世辞じゃないよ(笑)。

重永:ありがとうございます(笑)。

ジョーイ:素晴らしいクリエイターだから、これからも活躍していくと思う。今はレーベルがマネージメントにまで業務範囲を広げるなど、業界が変わってきているよね。各方面が垣根を越えているから、作曲家が曲作りだけじゃなく、アーティストのライブプロデュースに着眼していることは、とてもいいことだよ。

重永:ぜひ、実現させたいですね。

ジョーイ:最後に、この業界で作曲家として活躍したいと思っているみんなへ、アドバイスをもらえるかな。

重永:プロと言っても、今の時代はアマチュアとの境目があまりないんです。曲を作り続ければ、どれだけ若くてもチャンスはあります。もし少しでも興味があれば……、僕自身がほんの少しの興味から、今やかけがえのない仕事になっていますので、どんどん作曲してほしいなと思います。

ジョーイ:僕から伝えたいことは、「90%の努力では成功しない」ということ。100%、もしくは120%の努力をしても十分ではない。200%の努力をしなければいけない状況も、あると思う。そのためには学校で知識をつけ、自分のやりたい音楽をアピールしてほしい。そうすればきっと、先生が手を差し伸べてくれると思うよ。この学校の先生たちは現役で音楽業界に関わっている人ばかりなので、いいアドバイスや手助けをしてくれるはず。もちろん、僕もその中の1人。だからこそ、亮介をレーベルの制作部にすぐ紹介することができたんだ。助けてくれる先生は僕以外にもたくさんいるので、ぜひこの学校で音楽を学んでほしいな。

重永 亮介さん サイン

卒業生 重永 亮介さん

重永 亮介さん

profile

福岡スクールオブミュージック専門学校/サウンドクリエーターコース在学中にプロデューサーJ o e yCarbone氏の目にとまり、プロの作曲家を目指して指南を受ける。2008年3月に同校を卒業後、21歳の時にKAT-TUN · 玉置成実 · 中島愛などに楽曲が採用され本格的な作家活動をスタート。その後、東京に上京してから経験を重ね、作曲のみならず編曲 · 作詞も手掛けるようになる。2012年より藍井エイルのライブにバンドマスター及びキーボードとして参加。また、最近は、キーボードとプログラミングに加え自らのアレンジ曲ではギターとベースの演奏も行っている。

ジョーイ・カルボーン先生 サイン

名誉教育顧問 ジョーイ・カルボーン先生

ジョーイ・カルボーン先生

profile

エイベックス株式会社とソニーミュージックの元特別顧問。SMAP、嵐、KAT-TUN、Hey Say Jump、King & Prince、Sexy Zone、Crystal Kay、中森明菜、和田アキ子、松浦亜弥、関ジャニ∞、土屋アンナなど、J-POPをリードするアーティストに1000曲以上も提供している作曲家/プロデューサー/編曲家/キーボーディスト。CMソング、アニメソング、「里見八犬伝」のような映画音楽も200曲以上作っている。矢沢永吉、X JAPAN、ブリトニー · スピアーズ、クリスティーナ・アギレラ、ビヨンセ、ジャスティン · ティンバーレイク、エルトン · ジョンといった著名人とも仕事をしている。外国人作曲家としては、ビートルズを除けば、誰よりも多くの楽曲を提供している。