ヴォーカリスト 松岡 充さん × 湯川 れい子(名誉学校長)

自分が楽しいと思えることを、
許される限りやり続けていたい

 ロックバンド『SOPHIA』でデビューし、現在は多岐にわたったジャンルへと活動の幅を広げている松岡充さんは、本校の卒業生。名誉学校長の湯川れい子先生と語り合ってみると、音楽に対する真摯な想いは、2人を支える大きな力になっているようです。

一生涯、ずっと天才でいらる人は
いないと思うんです

松岡:初めまして。

湯川:初めまして。

松岡:お会いできて、本当に嬉しいんですよ。

湯川:まあ、私も嬉しいわ。早速ですけど、先日、ポール · マッカートニーが来日しましたよね。

松岡:お互い、「懐かしいね」という感じでした?

湯川:そうですね、47年前に彼が初来日した時の写真をお見せしたりね。私がビートルズの部屋に行って以来ですから。

ヴォーカリスト 松岡 充さん × 湯川 れい子(名誉学校長)

松岡:あの、関係者に紛れ込んで面会したという、伝説の取材ですね!

湯川:そうそう(笑)。その時に彼らの写真を撮ったんですけど、最後の1枚はどうしても私自身がその場にいたという記念写真を撮りたくて、「1枚だけ一緒に撮ってください」とお願いしたんです。するとポールが「誰と撮りたい?」と聞いてくれたので、私は「リンゴ( · スター)!」と答えたのね。そうしたら、ポールが「わかった。ジョージ( · ハリスン)、撮ってあげなさい」って。それで、ジョージがシャッターを押してくれたんです。
そんな話を、懐かしみながら47年ぶりにしました。

松岡:ポールも覚えていたんですね、すごいなぁ。

湯川:彼も今年で71歳。それでも37曲を全て、楽器を弾きながら歌うのよ。

松岡:素晴らしいですね、そのバイタリティとモチベーションが。

湯川:しかも、松岡さんもヴォーカリストだからどれだけすごいことかおわかりになると思うけど、50年前と同じキーで歌うの。

松岡:うっわー、すごいですね!

湯川:そんな話を聞くと、「これから先もまだまだあるんだ」と思えるでしょう?

松岡:そうですね、僕の中でも「40歳になってロックバンドをやっているのは、どうなんだろう」という想いがどこかあったんですけど、そういう先人たちの偉大な頑張りを聞くと励まされます。

湯川:でもね、そこまでの頑張りはみんな同じだと思うの。
この間お亡くなりになられた川上哲治さんが「ホームランを1本打つと、みんな "すごいな、やっぱり天才だな" と褒めてくれるけど、その1本を打つための努力や費やした時間、精神力に関しては、誰も考えてくれない」とおっしゃっていたんですって。あの方でもそういう発言をなさるのだから、一生涯ずっと天才でいられる人はいないと思うんです。全て、他人には見えない一瞬一瞬の努力の積み重ねでしょ?

松岡:そうですね。どんな人間にとっても、24時間は一緒ですから。才能があるとか、境遇に恵まれているとか、家柄がいいことが大きなアドバンテージになるわけじゃない。

湯川:あるとすれば、すごくいい声に生まれたとか、すばらしいルックスに生まれたとか、恵みはそれなりにあるのでしょうね。でも、それを全て活かしきれるかと言えば、そうとも言えないんじゃないかな。

松岡:あと、生き方でいろいろ変わりますよね。プラスのオーラの人が集まるように、自分からマイナスを排除していくことが大事だと思います。いわゆる笑顔の大切さがわかっている人は、人生が変わってくる気がします。

湯川:本当にそうよね。でもそれは、なかなか20代では気がつかないのよね。20代の時には逆に、この世代特有のエネルギーや、怖いもの知らずな一面がありますから。松岡さんも怖いもの知らずだった時期、あったでしょう?

松岡:ありましたね(笑)、ちょうどこの学校へ入学した時期です。僕は高校時代にちょっとヤンチャなグループにいたので(微笑)、勉強面では遅れていたんですよ。でも、僕にとってどうしても負けたくない人が、大学受験で一浪したんです。それで「僕が現役で受かれば、この勝負には勝つだろう!」と受験したんですが …… 、全部落ちちゃって。

湯川:あらまぁ。

松岡:でもテストの答え合わせをしたら、5人受けた中で2番目の成績だったんですよ。これだけいい点数を取れたのに、5人の中で落ちたのは僕だけでした。理由を先生に聞いたら、「お前は内申点がゼロに近い」と言われたんです。この内申点ゼロの状態で、僕のライバルに勝つにはどうしたらいいのかを考えて。ちょうどその頃、洋楽が流行り出した時期でした。「ロックスターになれば、人生の勝者からも羨望の眼差しで見てもらえるんじゃないか」と思ったんです。

湯川:高校時代からバンドをやっていたの?

松岡:コピーバンドに毛が生えたような遊びでしたけどね。とりあえず、本気で勝つためにはロックスターにならなきゃいけない、と。でも、どうすればなれるのかが、さっぱりわからなくて。そこで進路を考えている時に、この学校の存在を知ったんです。
どういう背景でエンターテイメントが作られているのか、その裏側を知っておくことは、ステージの上に立つ人間になるとしても、絶対に損はないだろうと。それなら、裏方のことも学べるこの学校へ行こうと考えました。入学前にパンフレットを見て、湯川先生が名誉学校長だと知り、「この学校は間違いない」と思いましたよ。先生のお言葉と写真を見て、すごく信頼できる学校だと感じましたし。

湯川:ありがとうございます。

松岡:ただ、僕は漠然と「ロックスターになりたい」という夢しかなかったので、目標が明確じゃなかったんですよ。学校に通っている2年の間に、世の中に通用するスキルを得るためには、きちんとした目標と強い意志を持っていないといけないな、と実感しました。

本気を連鎖させて24時間費やせるなら、
それに勝るものはない

ヴォーカリスト 松岡 充さん × 湯川 れい子(名誉学校長)

湯川:今までを振り返ってみて、もし20代の自分に何かアドバイスをするとしたら、どんなことを伝えたいですか?

松岡:漠然としたことしか言えませんが …… 、本当の本気を連鎖させて24時間を費やせるのであれば、それに勝ることはないと思います。この「本気でやる」という言葉の意味は、僕もここ10年で、ようやくわかったことなんです。
バンドでデビューして10年経って、自分たちの殻に閉じこもるだけじゃなく外へ目を向けるようになり、今まで「ロックじゃないだろ」と思っていたことにも挑戦するようになりました。例えばミュージカルだって、そうです。「ロッカーがミュージカルって!」と思っていましたけど、実際にやってみると、「こんな歌唱法があるんだ」「こんな伝え方があるんだ」とすごく勉強になった。「ロッカーたるもの、ロックらしくなくちゃいけない」と、今までずっと拒否していましたが、その "ロック" が何かを一番わかっていなかったのは、ロックスターを夢見ていたあの少年だったんだな、と痛感しました。「本気でやる」ということは、本を読んだり知識を取り入れて自分の視野を広げたり、「この人はナシだな」と思っていた人の意見も聞いてみる。そういう貪欲さが必要なんだよと、あの頃の自分に言ってあげたいですね。

湯川:ミュージカルって、声の出し方が違うでしょう?

松岡:もう、まるっきり逆でした。最初は「何を言っているんだ、この人たちは」と思ったくらい(笑)。ただ、やっていくうちに「どうせやるのなら、一度自分をゼロにして、相手の言うことを100%吸収してみよう」と思ったんです。ミュージカルに対してアンチだったけど、それを捨てて全てを受け入れてみようって。実際に経験してみたら、中心へ行くルートが右からか、それとも左から行くかの違いだけなんですよね。何の保証もないチケットにお金を出して、期待を胸に「何か違う景色が見られるんじゃないか」と集まってくれた人たちに、温かいものを手渡しして「またね」「ありがとう」と言える関係性は、ロックもミュージカルも一緒だと気づいたんです。

湯川:本当にそうよね。

松岡:それをわかっていて、「どんな方法論でもいいんだ。見に来てくれるお客さんが全てのジャッジで、あの人達のためにやることが自分の喜びなんだ」と言える人が業界に残っているし、輝いている。そこをはき違えなければ、ずっと輝きを放てるんじゃないかと思うようになりました。

湯川:自分を客観的に見ることができて、ちゃんとプロデュースできるのは、すごく大事なことだと思いますよ。

松岡:いろんな人と関わって、たくさんのステージを踏んで、ようやくわかることかもしれませんね。

湯川:そういう喜びを得るのは、アーティストだけじゃないでしょうね。
20代の頃は周囲のスタッフのことを「この人も金儲けしたいだけなんだろ」なんて思いがちだけど、実はみんな "松岡充" というアーティストを命がけで売ってくれているの。そして、あなたとせめぎ合いながら何かを作り出すことを、それぞれのポジションで担っている。その層の大切さ、「決して一人じゃないんだ」という喜びを、どこかで気づいてこなかった?

松岡:気づきましたね。結局、一人じゃ何もできないんだということがわかるんです。
そこからさらに数年経つと、「相手も一人じゃ何もできないから、自分を選んでくれたり、仲間だと思ってくれるんだ」ということがわかった。周りが全て敵に見えて、「世の中に中指を突きつけてやる」という考えは、特にロックという音楽に関してはそれがパワーになりますが …… 。

湯川:それでお客さんがついてきてくれる時は、いいけどね。

松岡:そうなんです。でも、敵だらけじゃない世界が存在するからこそ、自分たちがちゃんと声を上げられるんだということがわかって、周りに感謝するようになりました。

湯川:結局は、共同作業ですもの。周りへの感謝の気持ちを持てば、素晴らしい世界が拓けるのだと思います。

SOPHIAに取って代わるものを
これから創り上げていくつもりです

ヴォーカリスト 松岡 充さん × 湯川 れい子(名誉学校長)

湯川:松岡さんはご自身でも曲を書いて、他のアーティストにも提供をしていらっしゃいますよね。何かをクリエイトすることは、お好きでしょう?

松岡:大好きです。ジャケットデザインを描いたり、写真を撮るのも好きですし。

湯川:クリエイトしていくことは、これからすごく大きな財産になっていくと思うわ。

松岡:そうですね、創らないと何も始まらないですから。

湯川:先日、写真集『SOMETIME,SOMEWHERE』を発売されたそうですね。

松岡:そうなんです。尊敬する写真家 舞山秀一氏に、キューバで撮っていただきました。ロケ場所にキューバを選んだのは、「小さな島国が、どうやって文化を育てているんだろう」と、この目で見たくなったんです。行ってみたら、そこには昭和の日本がありました。ダメなことを「ダメなんだぞ」と知らないオッチャンが怒っていて、でもゆるいところはゆるい、みたいな。

湯川:写真集を見せていただきましたが、とてもいい意味で裏切られる内容ですね。

松岡:わっ、嬉しいです。キューバには、すごいパワーを感じました。それこそ2007年に、この学校の学生さんたちと何かを創りたいと思って、『青空の破片(かけら)』のミュージックビデオを2作品、一緒に制作したんですよ。その時も、ものすごいパワーを感じたんですよね。ビデオの構想から撮影、出演者もすべて本校の学生さんにお願いしたんですが、最近の学生さんは僕らの学生時代とは違って、すさまじい進化をしていると感じました。現実的な未来を見る目を、きちんと備えている。

湯川:しかも、純粋なのよね。

松岡:そうなんですよ。何に驚いたって、現場に入っても全然動じないんです。そこがすごいな、と。夢に向かってキラキラしたままなんだけど、せっかくの機会を萎縮して逃すことはない。

湯川:いいことですよね。彼らはみんな、未来を作っていく人たちですから。そういう人たちに、私たち大人が自分の経験を伝えていったり、愛を受け渡していけたら、とてもいい世界になると思うの。

松岡:そんな未来を創っていきたいです。

湯川:そして松岡さん自身、人生の折り返し地点にさしかかっていらっしゃる年令だけど、これからの目標はありますか?

松岡:自分が楽しいと思えることを、許される限りやっていきたいですね。自分のやりたいことを、一つずつクリアしていきたい。SOPHIAは活動休止中ですが、SOPHIAに取って代わるものを創り上げていくつもりです。今まではやらなかったカバーソングに挑戦してみたり、5ピースのバンド形態から解放されたのでクラシック楽器の可能性を探ってみたり、まだ構想中ですが、いろんなジャンルに触れてみたいですね。

湯川:夢を語る松岡さんのキラキラしたその瞳、ずっと続けられたら最高だと思うわ。私たちも学生も、この学校の先輩であるあなたのこれからを、ずっと見ていますからね。

松岡:ありがとうございます。

松岡 充さん サイン

ヴォーカリスト 松岡 充さん

ヴォーカリスト 松岡 充さん

profile

1994年にロックバンド 「SOPHIA」を結成。1995年メジャーデビュー。バンド結成以来、一年も欠かすことなく毎年全国をツアーを行い、これまでにシングル40枚、アルバム20枚をリリース。約200曲にも及ぶ全楽曲を作詞し、多くの代表曲を作曲。2013年8月の日本武道館公演をもってバンド活動を休止。俳優としても目覚ましく活躍し、その演技力を高く評価されている。出演代表作には「人にやさしく」(CX)、舞台「リンダリンダ」「キサラギ」、Vシネマ「仮面ライダー エターナル」など。他アーティストへの楽曲提供やプロデュースワークも多く、写真集出版 · 小説執筆 · プロダクトデザイン · 番組司会などヴォーカリストというカテゴライズを超え、多彩な分野で活動するクリエーターアーティストである。新バンド「MICHAEL」を結成し、2014年本格的に活動を開始する。同年1月には女優吉行和子さんとのW主演で話題の映画「御手洗薫の愛と死」の公開、以降も舞台 · ミュージカルの主演が決定している。

名誉学校長 湯川 れい子先生
湯川 れい子先生 サイン

名誉学校長  湯川 れい子先生

profile

音楽評論家 · 作詞家。早くからエルヴィス · プレスリーやビートルズを日本に紹介するなど、独自の視点によるポップスの評論解説を手掛け、世に国内外の音楽シーンを紹介し続け今日に至る。現在も多くの新聞、音楽専門誌、一般誌のレギュラー執筆を持ち、NHK、FM横浜などのラジオ · パーソナリティや、日本音楽療法学会の理事を務めるなど、評論家生活53年、作詞家生活48年を迎えた。日本レコード大賞審査委員長を務めたこともある。アン · ルイス、藤井フミヤ、中森明菜、徳永英明などの作詞、 マライア · キャリー、マイケル · ジャクソンなどの訳詞を手掛け、ヒット曲には「恋におちて」「六本木心中」「ランナウェイ」「涙の太陽」などがある。